迷い坂の途中に愛がある

ヤマト現代パラレル 古代君と雪 R-18 ※めぞん一刻のパロディです。


「めぞん大和ハウス」


さくら 2




1年前の今日、守兄さんが死んだ。

交通事故に遭ったその場所は坂の途中にあり、転がったボールを拾いに飛び出してきた子供を庇うというひどくありがちなシチュエーションだったが、私立の名門K大を卒業し家業の不動産賃貸業を継いだ苦労知らずの守兄さんらしいと通夜の席でそう思いながら遺影を眺めた。

両親も若くして亡くなってしまった守兄さんを惜しんで葬儀が終わるまで涙が枯れることは無かった。彼ら夫婦に残されたのが大学受験に失敗し3浪目を迎えた愚弟だということも悲しみに拍車をかけたに違いない。…つまりそれが今、守兄さんの墓前に項垂れている僕なわけだが。

「ゴメン兄さん。また受験、失敗しちゃった」

(いいんだよ、お前はただ元気で楽しく生きていてくれさえすれば、親父達も安心だろ)

いやいやいや、この甲斐性なし!とか言われていると思うんですけど。
都合のいい空耳だが、明るくて爽やかで誰からも慕われた守兄さんならそう言って慰めてくれるような気がする。

あまりにも立派な自宅に居候している身が辛かったので僕は実家を出て、不動産業を営んでいる父親が管理しているボロアパートの一室で昨年浪人が決まってから一人暮らしをしていた。もちろん無職のため家賃なんか支払ってはいなかったが。

顔を上げて墓と向き合うと、綺麗な花束が捧げられていた。両親が供えた仏花とは違う、まるで花嫁が持つような小さなブーケだった。白と薄いブルーの小花を瑞々しいグリーンの葉が取り囲んでいる。…たぶんきっと、あの人だ。

守兄さんの葬儀の時にある美しい弔問客が居た。彼女は当時19歳、短大の1年生だったが、守兄さんの婚約者だということが参列していた学友たちの口から両親に伝えられて大騒動になった。いわく、守兄さんは彼女が短大を卒業したら結婚するつもりだったのだそうだ。それがこの桜咲く季節のことで、今頃彼女は純白のウェディングドレスを着てこのブーケを手に至福の笑顔を見せてくれていたに違いない。それを披露宴の親族末席でこっそり眺める自分の姿は容易に想像がついた。

「悲しみよこんにちは、か」

文学部志望の僕は彼女の悲しみを想って少しだけ泣いた。いつの間に来たんだろうか…僕はそのブーケを手に立ち上がり墓所をぐるりと見回したけれど、ついに彼女の姿を見つけることはできなかった。


駅から商店街を通り抜けると急な坂道が目の前に立ちはだかってくる。この坂を登りきった先にアパートがある。管理人室と靴を脱いで上がるタイプの6つの部屋と大浴場と食堂などもあるオールドスタイルの共同住宅だ。門をくぐって洋館風の入口の扉を開けて「ただいま」と呼びかける。3月で管理人だったおばさんが辞めてしまったため、もちろん返しは期待していない。後任者は決まっていなかったからしばらくは自炊だなと仕送りの残金を頭で計算していた時。

「お帰りなさい」

鈴の鳴るような軽やかな声に迎えられた僕は顔を跳ね上げた。視線の先には、黄色いヒヨコの描かれたピンク色のエプロンを身に付けた彼女が立っている。

「ア、 レ?ここで何してんの」

「短大を卒業しましたから」

「え、ああ、おめでとう。…じゃなくて!」

「あれからぼうっと過ごしてしまいましたから就職活動もしていなかったので守さんのお父様がここで管理人でもしてみないかってお誘いしてくださって。先ほど引越しを終えたんです」

「はぁっ!?ここに住むの!?」

「お給料を頂くんですもの、お食事の支度やお風呂を沸かしたり、共同スペースのお掃除なんかも私がしますね。私のことは雪と呼んでください。お父様、進さんの受験のこと、とても心配なさっていました。次こそ何とかしてやってくれって」

「ダメな息子ですんません…」

「あの、進さん?」

僕はフラフラと階段を登って自分の部屋に閉じこもった。勉強に集中するために机と布団ぐらいしか置いていない極めてシンプルな部屋だ。壁には「今年こそK大合格!」「3浪阻止!」の張り紙が貼られている。それを僕はバリッと乱暴に剥がしてゴミ箱に捨てた。父親も父親だ。何も僕が住んでいるアパートに守兄さんの婚約者だった人を送り込むことないじゃないか。それとも何か、お嫁さんとしての彼女という存在が欲しくて僕に守兄さんの後釜になれって言うんだろうか。…バカじゃないのか…。僕は第一志望のK大に3度も落ちて守兄さんとは比べ物にならないほどのダメ息子ぶりなのに。代わりになんかなれるはずがない。僕は敷きっぱなしの布団に仰向けになった。

それなのに僕は葬儀の日、不謹慎にも宇宙人レベルの美女だった彼女に一目惚れをしてしまったのだ…。

こんな気持ちを誰にも知られたくは無かったし、両親だって知るはずがない。守兄さんが生きてさえいたら、そんな気持ちを抱くこともなく美男美女のカップルとして雲の上の存在だと割り切れたはずだ。

「何、余計なことしてくれちゃってんの。くそっ!」

伝えられない想いを封印して生きていこうと決意した矢先に、これかよ。僕は運命を呪いつつ、目を閉じたらそのまま眠ってしまった。やっぱり昼夜が逆転した生活を送っている時点でダメ過ぎるか…。


…「ムニャムニャ…ダーリン愛してるっちゃって言って…」

そんな寝言を口にしていたとき、不意に部屋の中に人の気配を感じた僕は布団から飛び起きた。ひぃふうみぃ。見知ったアパートの住人たちが僕の部屋で酒盛りをしている。

「起きたか?進くん、ささ、一杯やらんか」

「佐渡先生~!僕の部屋で勝手に酒盛りしないでくださいって何度言えば分かるんですか!」

「いやぁ~この部屋みんなで集まるのにちょうど良くてなぁ」

「食堂でいいじゃありませんかっ」

佐渡は近くで動物病院を開業している獣医だが無類の酒好きで、みーくんという名の猫を飼っている。ちなみにアパートが建った当時から(築30年)1号室に住んでいる最古参だ。
当時は父親の義父、つまり僕の母方の祖父である沖田十三という人が守兄さんの誕生を祝って建てたアパートなんだそうで、読み方もダイワハウスではない、ヤマトだった。太平洋戦争にも出征したことのある人らしいが、生まれる前に亡くなってしまったので僕は逢ったことがない。佐渡先生はその当時新人の従軍医師だったそうだが、巡洋艦の艦長だった十三お祖父さんにはとても可愛がられたのだそうだ。

「いいじゃないのよォ。進くん、あたしの注いだ酒、飲めないって言うの~?」

下着をチラ見せしながらぐい呑で日本酒をあおっているのは、駅前の繁盛店でキャバクラ嬢をしている新見さんだ。薫という名の源氏名で店に出ているらしい。2号室の住人だ。

「ムダにそのでかい胸、押し付けてこないでくださいっ」

「なによォ、3浪が決まったって聞いたから慰めてあげようとしてんのよン。ムラムラしてるくせにィ」

「してませんっ!」

「まあまあ、薫ちゃん。進くんは童貞だから、度胸の無さは大目に見ないと」

「ぶはっ!!」

佐渡に手渡された湯のみ茶碗から飲み干した日本酒を吹き出してしまう。

「ななな、なんで知ってるんですか!真田さんっ!それを!…あ…」

「隣の部屋からそこの壁の穴越しに君が勉強している姿をよく眺めていたんだ。全く、マスターベーションのひとつもせずによく机に向かっていられるものだと感心していたよ」

「しないでください!っていうか、どんだけ暇なんですか、もう…」

真田はサラリーマンらしく、スーツを着て規則正しく7時にアパートを出て、夜7時には帰宅していた。交友関係はこのアパート内だけに限られているようで夜もほとんど部屋にいて、外に飲みに行くことはないようだ。しかし誰も真田の会社が何処にあってどんな仕事をしているのか知らなかった。

その時、トントンとドアがノックされた。

「はい」

反射的にドアを開けると、料理を盛り付けたお盆を持った雪が立っていた。「あ」思わず口が開く。夢かと思っていたがそうだった、ここの管理人になったんだった。

「私の管理人就任祝いなんですって。食堂じゃなくて、本当にこちらでいいんですか?」

そう言いながら雪はズンズンと部屋の中へ入ってきた。頬がヒクヒクと引き攣る。

「管理人さ~ん、こっちこっち!ほぉ~美味そうじゃ!わしゃ、ここに住んで30年にもなるがの、こんなに手料理を心待ちにしたのは初めてじゃ」

「管理人さんは花嫁修業を完璧にこなしてきたからね~」

「ね~」

新見さんと雪は女性同士でにこやかに微笑み合っている。へぇ…タイプが全然違うのに、すぐに友達になれるなんて、女って分からないな。しかし花嫁修業という言葉に胸が疼く。墓前のブーケはもう守兄さんのことは忘れるという意思表示なんだろうか。それとも一生、想って生きていくという決意なんだろうか。

「管理人さん、古代守の婚約者だったんだって?」

ふと真田さんが守兄さんの名前をストレートに出したので僕は驚いた。知り合いだとは知らなかったが、そんな口調だったからだ。

「ええ。私、両親とは高校生の時に死に別れまして、ひとり暮らしのアパートを探している時に世話をしてくださったのが守さんだったんです。保証人もいないけれど貸してくれるお部屋はありませんかと訊ねたら親身になって探してくださって」

そうだったのか。

「なるほど、それで管理人さんの将来も親身になって考えたわけだ、あいつらしいな。俺と守は大学の同期だ。この洋館に住み始めたのは田舎から出てきた時で、たまたま飛び込んだ不動産屋が守のところだったんだよ。守はその頃店舗でバイトをしていたから同じ大学に進んだことで親近感が湧いてな、親友になるのに時間はかからなかった」

「え、じゃあ真田さんもK大卒?」

「ああ、そのまま残って今じゃ文学部の准教授だ。…進くんの答案用紙も採点したよ。いやァ~酷かったな、ハッハッハ!」

「ぶぶぶっ!!」

「まま、飲みたまえ進くん、いいじゃないか~百里の道を行くものは、九十九里をもって半ばとせよと言うじゃろうが」

「まだ道にすら立ててませんけど…ちぇ~ちぇ~。飲みますよ、今日はとことん!雪さん!こんな変な住人ばっかりですけど、呆れないでくださいね!」

僕は酔っ払っていたけれど、さらにぐぃっ!と日本酒を飲み干した。

「はい」

ふと見つめた視線が一瞬絡んだ。
この笑顔に励まされる、いや、翻弄される、どっちだろ。どっちにしても、僕の長い一年はまた始まったばかりだった。


初夏が過ぎ、夏になった。
予備校の中はクーラーが効いているが、外との気温差にバテ気味だ。夕方電車で帰ってきて駅前商店街を通り抜けていると、キャバクラの前でセクシーポーズの新見さんに声を掛けられた。

「お帰り~暑いわねぇ、そこのラブホテルでイッパツ、ヤッてく?」

「丁重にお断りします」

「だよね~アイスキャンデーも溶けちゃうものね、勃つものも勃たないわよねェ」

そう言いながらペロペロとトロける連乳棒みたいなアイスを口に頬張っている新見さんはすこぶるエロかった。ぶるるるるっ!ダメダメダメ!暑さで脳が沸騰しかけているからって、こんな誘惑に負けちゃダメだ!負けちゃダメだ!負けちゃダメだ!

首を左右に振りながら通り過ぎたらクラクラと目眩がした。あー、雪の幻覚が見えるぅぅ…と思ったら本人だった。買い物かごを下げている。

「お帰りなさい。今日の晩御飯はちらし寿司にしようと思って。さっぱりしていて食欲のない時にはいいでしょう?」

「はい、なんでも美味しいです。あ、それ、持ちますよ」

僕はかごを持ってあげた。結構ずっしりと重い。毎日、5.6人分の食事の世話をするとなると買い物も重労働なんだなと僕は気がついた。自分の洗濯だけでなく、時々佐渡や真田の衣類を庭に干していることがあるから、男の一人暮らしの無精をちゃんと分かって助けてあげているみたいだ。僕は自分の下着を雪に手渡す勇気がなくて、相変わらず自分で洗濯をしていたけれど。というのも、ここのところ元気なのだ。何がって、僕のナニが…。

「あのぅ、お勉強、進んでます?」

「いえ全然。あっ、嘘です、ちゃんと、やってます。僕、本番に弱いんですよ。模試はそこそこA判定は出るんで」

「じゃあ、一日だけ気晴らししませんか」

「気晴らし?」

「ええ、氷川神社のお祭りが明日からあるんですけど、夜店に行ってみません?アパートの皆さん、明日は用事があるそうで、お食事のお世話をしなくていいみたいなんです。進さんだけですから、たまには外でいかが?」

「あ、はい。喜んで…ってことは、ふたりきりってこと?」

「そうなりますね、うふふっ。じゃあ、約束ですよ」

雪は右手の小指を僕の顔の前に差し出してくるので、反射的に僕も右手の小指をそれに絡めた。…はっ!慌てて離したけれど、耳まで真っ赤になっているに違いない。暑いせい、それだ。

翌日、予備校から速攻で帰ってくると、雪は浴衣を着て髪をアップに結わえた姿で僕を待ってくれていた。瞳孔がクワッ!と一瞬開ききるほど心を鷲掴みされる。

「お待たせっ、しました!」

「まぁ、すごい汗。あの上り坂を走ってきたんですか」

「大丈夫です、行きましょう!」

ちなみに僕は女の子とデートしたことも21年間一度もなかった。いや、デートではない。雪はアパートの住人、誰にでも優しいのだ。僕はそう思い込むことにして、余計な期待感を胸の奥に押さえ込む。

鳥居をくぐり抜けると赤い提灯が続いていた。
色とりどりの屋台を冷やかしながら本堂までたどり着き、参拝する。カランコロンと鳴らして僕が祈るのは合格祈願だが、雪も熱心に何かを祈っているようだった。

「何をお願いしたのさ」

「教えない」

「宇宙の平和?」

「うふふっ!なんですか、それ。違います。ある人が、私のことを好きになってくれますようにって、お願いしました」

それを聞いて僕は口を噤んだ。雪は管理人業の合間にテニススクールに通っている。そこで知り合ったというコーチの島大介なる男がやたらめったら雪に接近しているのを僕は知っていた。ある人とはそいつのことなのかも。

「女って、変わり身が早いんだな」

「…え?」

「兄さんが死んでまだ1年ちょっとじゃないか。そんなにすぐに忘れられるものなのかよ」

僕は「進さん!」と呼び止める声も無視して歩き出した。が、押し寄せる参拝客に押されて全然カッコよくこの場を去ることができずに、すぐに雪に追いつかれてしまった。あーーーー、カッコ悪い…。

「怒ったの?どうして?」

あなたが僕を想ってくれないから、なんて。言えるはずもない。

「すみません、雪さんのせいじゃないですね。全部死んでしまった守兄さんが悪いんだった。余計なお世話かもしれませんけど、ウチのアパートにいたらその人と結婚できないんじゃないですか?」

「私、どなたとも結婚する気はありません。私のことを慈しんでくれた人が皆何処かへ行ってしまうのなら、私は最初からひとりでいいんです」

「でも、さっき」

「誰かを好きになるのは自由でしょう?その人のお陰で今日も頑張ろうって思えますもの。私もその人にとってそうありたいの」

「…そうだね」

この辛さを勉強だけに向けられたらどんなに楽か。恋愛などにうつつを抜かしている場合ではないのは重々分かっていたが、それをコントロールできないのもまた、恋愛なのだった。


ヤバイ。
なにがヤバイって、追い込み時期の秋に入ったというのに、頭が真っ白になった。詰め込み過ぎると一時頭が飽和状態になって何も受け付けなくなってしまうのだ。答案用紙を埋めようとしても何も引っ張り出せなくなって、僕は焦った。真田さんはそんな僕の様子を見かねて「1週間勉強禁止」の措置を下した。

故に僕は今、守兄さんの墓に来ている。
ちょうどお彼岸の時期でもあり、墓所は仏花で彩られ線香の匂いが鼻についた。
『古代家先祖代々の墓』は実家の屋敷並みに墓所でも大きな敷地を誇っている。さすがにやったことはないがテントを張って寝れるほどだ。そこで僕は胡座をかいた。

(どうした、進。浮かない顔をして)

「兄さんが生きてくれていたらこんなに混乱してないんだよ」

(死者には無理な相談だな。真田はいい相談相手になるだろ?俺だと思っていろいろ頼りにしろ)

「まさか僕の進学希望先の准教授だとは思わなかったよ。もう1年も一緒のアパートで暮らしているのに、兄さんの親友だったって事も初めて知ったぐらいでさ。他人って謎だよな。なのに兄さんはいつだって思いやりがあって優しくて、きっと雪も…雪さんも、そんな兄さんに惹かれたんだろうな」

(誰かに恋でもしているのか?進)

「兄さんには言えない人。想いが溢れてきて、とうとう試験勉強が頭に入らなくなっちまった。受験まで実家に帰ろうかな…いや、無理か。半分勘当されたみたいなもんだしな。合格証書を持って帰らないと今度こそ本当に勘当される」

(物事に一生懸命打ち込んで初めて人ってのは報われるんだ。結果は後から付いてくる、最初から無理だと決め付けるんじゃない)

「でも彼女を好きになっちゃダメなんだ」

(お前がそう思うのはその人のことを大切に考えているからだ。俺に遠慮なんかするなよ、進)

僕は、ハッとして顔を跳ね上げた。どうして守兄さんが僕の恋心を知っているのか。目前の墓は何も答えてはくれなかったが。

「やっぱりここにいたのね、進さん」

背後から雪の声がした。ビクッと肩を震わせて恐る恐る後ろを振り返る。白百合の花束を抱えた雪は僕の横を通り抜けると墓前に捧げ、線香を上げると長いこと両手を合わせていた。

「住職さんが心配して連れて帰ってくれっておっしゃるから。朝からずっとお墓にすがりつくようにしながらここに座り込んでいたって聞いたわ。私と一緒にアパートに帰りましょう。何かお腹に入れないと」

その言葉に、僕は初めて空腹を感じた。

アパートに戻ると平日のせいか住人は誰もいなかった。真っすぐに食堂に連れて行かれた僕は、厨房に立つ雪を眺める。コトコトと煮込んでいるのはビーフシチューか何かのようだ。朝から用意してくれていたに違いない。大好物の匂いに腹がグーッと鳴る。

「はい、召し上がれ」

長テーブルの向かい側に座って、雪はニコニコ微笑みながら僕が食事をするところを飽きもせず眺めていた。

「進さんの好物が分からなかったから、お母様に電話をかけて聞いてみたの。ビーフシチューが好きだって聞いたから、昨日から煮込んでみたのよ。実りの秋は美味しいものが一杯。栗に秋刀魚に松茸。予算は限られているけど、食べているときって幸せな気分になるでしょう?それを進さんにも味わって欲しいから」

「なんで?…弱くて、兄さんにすぐ頼るダメな弟なのに、どうしてそんなにしてくれるんだよ」

「私も守さんを失って悲しかったから、あなたの気持ちがわかるの。名前がその人を表すって本当ね、ずっと私は出会ってから守さんに守られていた。だから、その恩返しがしたいの。今度は私が、あの人が大切に思っていた弟さんを守ってあげようって」

涙腺が一気に緩んだ。今から泣くんでちょっと席外してくれる?とも言い出せずに、僕はズビズビと鼻をすすりながらシチューを食べ続けた。

みっともないところを雪に見られた気はするが、真田さんの言った通り、1週間もしたら受験勉強モードが戻ってきた。秋は恋が深まる実りの季節。僕の中にも雪への想いが落ち葉のようにゆっくりと堆積していく…。


東京にも初雪が降った。その日はクリスマスイブだった。
予備校帰りに頭に降雪が積もるのも構わずに商店街を歩いていたら、雪が傘を差して立っていた。買い物帰りかとも思ったが、かごは持っていない。暖かそうなコートに足元は水玉模様のレインブーツを履いていた。

「どうしたの?こんな天気の日に、外に出るなんて」

「待っていました。ちょっと休みに行きましょう」

「ちょ、何処に!?」

雪に手首を引かれて連れて行かれた場所はラブホテル街だ。『ホテルZOO』という可愛らしい外観の入口に僕は吸い込まれていく。え、あ、ちょっと待って!!

「お部屋をひとつ、お願いします」

フロントで鍵をもらっているのはもちろん雪だ。なんという男前。いや、そうじゃなくて!

「ゆゆゆ雪さん!一体、これは何ですかっ!?」

「真田さんが」

「真田さんが、何っ!?」

「あなたのお部屋を壁の穴から覗いたら、その、ひとりで、シてるっておっしゃって」

雪はそのまま横を向いて頬を染めていた。イッ!?机に向かってイライラと勉強していて股間が疼くとイスに座ったままマスターベーションしているところを見られていたのか。

「そうですけど!どうしてこんな行動になるんですか…」

そんなやり取りを廊下でしていたら前方からカップルが歩いてくる足音がしたので、雪の手首を掴むと慌てて鍵番号を確かめてその部屋に入った。初めてのラブホテルに好きな人と侵入出来たのは嬉しいけれど、相手が愛情ではなく抜いてあげたいという気持ちしか持っていないんだったら全然嬉しくない。

「僕の受験のことを心配してくれるんだったら余計なお世話ですから」

「でも男の人はイッパツ抜かないとお勉強が手に付かないんでしょう?」

「…誰が言ったんですか、そんな下品なこと…。真に受けないでください。こういう場所へは、雪さんが本当に好きな人と来るべきだ。僕に同情なんかしちゃダメです」

「同情なんかじゃありません。女だって、欲望を感じてはいけないんですか?」

戸惑う僕の懐に雪が飛び込んでくる。ドアを背にした僕は、その背中を抱き留めた。

目の前には回転ベッド。
天井には鏡。
裸になってあーんなことやこーんなことをしたら身体の隅々まで丸見えだ。ゴクリ…

不意にムラムラと欲望が首の後ろに集まってきて、僕は酩酊するように感じた。いわゆる、理性が吹っ飛んだ状態とはこういうものなのだろう。僕は雪のコートを剥ぎ取ると、乱暴に抱き上げて雪をベッドに放り投げるようにしながらその身体の上に覆い被さった。…勢いのままに口付ける。ふたつの胸のふくらみに手のひらを乗せて乱暴に握り締めると「痛い」と小声で雪が身じろぎした。その声に、我に返る。

ベッドの上に広がった髪。
口付けの名残が残る艶やかな唇。

だけど守兄さんが抱いた人を僕が抱くなんて冒涜もいいところじゃないのか。急速に盛り上がった股間が萎んでいく。僕は自分の性器をジーパンの上から右手でグッと掴んで確かめた。…勃ってない。勃つ気が全くしない。

「出来ないよ…」

「え?」

「ごめんなさい、兄さん。僕、勃ちません…!」

ガバァ!と雪の上から身体を引き剥がすと、上着を掴んで部屋の外に出て、フロントで部屋番号を告げ休憩分の支払いを済ませるとまだ小雪の降る通りに走り出た。


アパートに帰り着いたのは日付の変わった深夜だった。
玄関に水玉模様のレインブーツを見つけてホッとした。管理人室の明かりは消えているからもう眠っているのだろう。玄関ホールに電飾の灯されたクリスマスツリーを見つけて、これを楽しそうに飾り付けている雪の後ろ姿を想像した。でも合わせる顔なんてない…足音を忍ばせて部屋への階段を上りドアに手をかけたとき、「進くん、ちょっと」と暗闇から声を掛けられた。心臓が跳ね上がる。…新見さんだった。

「なんですか」

「いいから、ちょっと」

そう言いながら新見さんは僕の部屋へ勝手知ったる風に入ってきてしまった。しかしいつもと違って口調は怒っている。僕は部屋の電気を点けてイスに腰掛けたが、新見さんはドアの前で腕組みをしたままだ。

「ねぇ、エッチ出来なかったんでしょ、管理人さんと」

「なんでそれをっ!?それもガールズトークですか…どうせふたりで僕のこと馬鹿にしてたんだろ」

「管理人さん、泣いてたよ」

胸がズキンと痛む。あんな場所にひとりで取り残されたら確かに泣くな。僕は冷静にそう思い申し訳なさを感じた。

「あのねぇ、守さんの婚約者だったからアレだよね、既にお手付きだと思ってるよね?」

「だって普通そうだろ。婚約したんなら、セックスだってしてるっつーの」

「管理人さん、処女だよ」

「………は?嘘だろ…」

「やっぱそこか、出来なかった理由。あたしもねぇ、キャバ嬢なんかやってるけど、好きだって告白もしていないのにどうしてラブホテルに行くことになったのかって呆れたのよ」

「ちょっと待って。誰が誰のことを好きだって?」

「進くんのはダダ漏れだけど、管理人さんもあんたのことが好きなのよ」

ガーン!と頭を木槌で殴られたような衝撃に襲われる。

「だって守兄さんの婚約者だった人じゃないですか」

「二人の間に愛はなかったの」

「どうしてあなたが断言できるんですか!?」

「あたしが守さんの愛人だったから、分かるのよ。彼の身体のお相手、相性は悪くなかった。でも結婚できる女じゃないし、日陰者でもいいかなって思ってたわ。そんな時に天涯孤独になった高校生の彼女と出会って庇護欲に駆られたみたいでいろいろと世話を焼いているうちに自分の妻に迎えるのが彼女の幸せのためになるだろうって考えたみたいなの。だから別れようって言われたわよ、それが交通事故の前日」

衝撃の新事実だ。新見さんは部屋を探してウチの不動産屋を訪れて、たまたまひとりで店番をしていた守兄さんに紹介された空き部屋の一室で、出会ったその日にセックスをしたらしい。エリートの守兄さんがキャバ嬢に溺れるなんて…人は見かけによらないものだ。

あ、だから雪はあの時こう言ったのか。

(ずっと私は出会ってから守さんに守られていた。だから、その恩返しがしたいの。今度は私が、あの人が大切に思っていた弟さんを守ってあげようって)

僕は拳を握り締めた。自分を殴りたくてしょうがなかった。

「彼が交通事故に遭った場所はこの大和ハウスへと上がってくる道。別れ話の時、いいわよって言えたのに柄にもなく涙なんか見せちゃったから、もしかしたら、バッサリ切り捨てた女に謝罪の言葉でも言いに来たのかもしれないわね。いつもその昼の時間にはここで眠ってたから」

「新見さん、兄に代わって謝ります。それから今話してくれたこと、僕、聞かなかったことにしてくれませんか。このままじゃ、雪に二度と顔向け出来ない。必ず受験に合格して、僕からちゃんと告白しますから。…お願いします」

僕は新見さんに向かって深く頭を下げた。

「いいわよ。あたしが守さんの愛人だったことも管理人さんには内緒よ。お墓の中まで持って行くわ」

それってきっと、新見さんなりに守兄さんを愛していたってことなのかもしれないなと僕は感じた。

人が人を好きになるのに理由はいらない。
ただ恋に落ちるだけだから。あ、不吉な言い回しだった。
とりあえず僕は受験の日を平常心で迎えるべく全神経を集中させた。


カリカリと答案用紙を埋める鉛筆の音が大嫌いだった。
現役の頃から4度目の大学受験でも、その耳障りな音は好きになれない。それでも、今回は試験問題に集中していたのか、途中からその音を全く感じなくなっていた。


試験を終えた僕は、いつもの駅を降りてアパートに向かう。
アパートへと続くこの道は迷い坂。

早く会いたい、たったひとこと、心から雪に叫びたい。
きっといつかはめぐりあい、結ばれると信じていたと。

「だから僕はもう逃げないよ、兄さん」

坂を上りきった先にアパートが見えた。その洋館の門の前には陽だまりを背にした人が立っている。きっと雪だろう。その顔が、僕を見つけてホッとしたような笑顔を浮かべていた。


『サクラサク』

K大合格通知を受け取った僕はその足で守兄さんの墓前に報告に出向いた。

「兄さんが守りたいと思った人を、僕が一生かけて守っていきたい。雪でなくちゃ僕はダメなんだ。許してくれる?」

いつも心の中で聞こえていた守兄さんの返事はとうとう聞こえてこなかった。だけど、柔らかい春風が前髪をふわりと揺らしてくれた。


…その日の夜、僕と雪はようやく結ばれた。

そこにたどり着くまでたくさんの話をした
夜更けの管理人室を僕が訪れ「最初に兄さんの葬儀で見かけた時から好きだった」と告白すると、雪も「ナイーブそうな人で私と気が合いそう」だと感じて好意を抱いてくれたんだそうだ。まるで太陽のように輝いていた守兄さんは全てにおいて自信に満ちていて完璧で、雪のようなただ家庭的なだけの女性を必要としていないのではないか、という葛藤があったのだという。

「ようやくこれで僕も家業を任せてもらえる入口に立てた。雪のおかげだよ。4年間死に物狂いで勉強と不動産屋の手伝いするからあんまりデートする時間ないかもしれないけど、ここで一緒に暮らそう。卒業するまでプロポーズは待ってくれる?」

「ひとつだけ約束してください」

「なんだい?」

「私より先に死なないって、約束してくださいますか」

正直、僕だって女性の方が統計的に長生きなことは知っていたけれど。それでも1秒でも長く、雪より長生きしてあげたい。それで彼女が満足だというのなら、お前はただ元気で楽しく生きていてくれさえすれば親父達も安心だろと言ってくれた守兄さんの気持ちにも応えることが出来る気がする。

「約束するよ」

「嬉しい…」

目を伏せた雪の身体を抱き寄せて、僕は管理人室の明かりを消した。

恥ずかしがる雪の耳元に何度も「好きだ」と囁き、唇を重ねながら、服を一枚づつ剥いでいく。暗闇に浮かび上がった下着姿の雪のダイナマイトボディを目にして鼻血が出そうになったが、そこよりも下肢に血液が集中していき、意識が遠くなりそうだった。正直に言おう。雪の素肌を手で唇で触れているだけで性器は隆々と勃起していた。こ、こんなに…デカかったっけ!?手順もよく分からず、ブラを外して先端の小さな丸みを口に含んで甘噛みしたり吸ったりしているうちに雪の腰が揺れてくる。「気持ちいいの?」と訊ねると頷き返され、僕の性器にも雪の手が恐る恐る伸びてきた。ゴクリと唾を飲み込みながら、ソコだろうと思った雪の中心に指先をそろりと這わせると「違うわ」と手の甲に雪の手が重ねられて少しだけ移動した。その重ねられた指ごと、ぬるりと湿った茂みの中に入っていく。ここなのか!?と思いながら中指をグッと奥まで差し込んで指を滑らせてみる。「…あっ…イヤ」と雪が逃げようとするので、片手で腰を強く握って引き止め、襞の感触を確かめるように指を動かした。卑猥な水音を立てて掻き回す。

「もう、入って…」

「へ…あ、いいの?」

「だって、進さんが辛いでしょう?」

はち切れんばかりに勃起した僕の暴れん坊を気遣ってくれている…!
こんなに大きいの怖いけど、などと慄く処女らしいところも僕を男にしてくれる気がした。
そして僕は、雪が導いてくれた場所へと入っていく。

あまりの気持ち良さに情けなくも僕が呻き声を上げる羽目になったが、痛みをこらえた甘い喘ぎ声にも後押しされて僕は激しく腰を振った。もちろんプロテクトは付けている。まだ家庭を築くには未熟だし、愛はこれからふたりで育てていくからだ。

射精の瞬間は文学的にはたとえようもない。
雪も僕も、互いが相手だけのためのひとりぼっちだった。それがこんな風に結ばれて快楽を分け合うことができるなんて、ふたり、というのはなんて素敵な事なんだろうか。

眠る雪の肩を抱きながら小さな布団の中で僕は目を閉じた。

桜が咲いたら守兄さんの命日がまた巡るだろう。
その時、鎮魂の祈りを、愛の誓いに代えられたらいい。

…ヒラヒラと桜の花びらが舞い散る季節がもうすぐやってくる。


おわり



※ようこん様がイラストを描いてくださいました!→ページへgo


【あとがき】
1本目の古代君とは打って変わって情けない彼でした(笑)こっちのイメージも私の中には脈々とありますよ、泣きの古代君。嫌いじゃない。アニメめぞん一刻の主題歌の中で村下孝蔵さんの「陽だまり」という曲が大好きで大好きで、このお話を書きながらYouTubeをヘビロテしていました。その歌詞がキラキラとこのお話の中に紛れ込んでいます。もうすぐ桜の季節ですね。生は愛しき蜃気楼。今年も心して花見を楽しみましょう^^